[ぼっちだった吸血鬼]




『これが有名な奈良の大仏ですよ。正式名称は東大寺盧舎那仏像。作られ始めたのは西暦で745年になります』
 サーシャルが片言の日本ではなく、流暢な英語で説明する。
『うわぁ、大きいですねぇ』
 彼のすぐ隣にいた、金髪の女性が大仏の顔を仰ぎ見て感嘆の声を上げる。
 2人の周りには、大勢の観光客がいた。彼ら自身も、ほかならぬ観光客だ。
『あちらの興福寺には阿修羅像が安置されていますよ。見に行きますか?』
『是非!』
 物腰柔らかなサーシャルの提案に、金髪の女性は笑顔で即答する。
 あちらですよ、と日本語の時とはどこか違う態度で女性をエスコートする。
 
 <3日前>
 うすら寒い冷蔵庫の前で、その話は始まった。
「行きたい気持ちはよくわかりますが、もう少し待ってください」
「もうソロソロ、タイムアップなのでース」
 腕を組み、渋い顔をする篠宮をサーシャルは必死で説得する。
「イチゴヘビから頼まれた【もちもちピーナッツせんべいバナナ風味】の販売期間がもうそろそろ終了ナノでーす」
「マスターはあの兄妹に甘すぎます」
 篠宮が鋭く、優柔不断サーシャルの言い訳に切り込む。
「仕方ガないでース……」
 サーシャルは捨てられた子犬のような雰囲気をかもし出しつつ、呟く。と同時に数十の黒蝙蝠へと変化した。
「!! マスター!」
 慌てて篠宮が蝙蝠へと手を伸ばすが、その手をいとも容易くすり抜ける。
「3日後ニハ帰りマース」
 蝙蝠たちから発せられた音とも声とも響きとも形容しがたいものが、篠宮に予定を告げる。
「そういう問題じゃっ……!」
 蝙蝠の外へと流れる蝙蝠の大群。それを篠宮は必死に追いかけようとする。が、未熟な彼にできたのは、開け放たれた排気口の前で奥歯をかみ締める事のみだった。
 
 そして、数時間後。日の暮れた奈良にサーシャルは降り立った。
 再構築した体を確かめるように大きく背伸びをしたあと、人が多い観光地のほうへと移動する。
 浮かれた人間たちに交じって、所々に異形のものが混じっていた。彼らは、人に関するもの、もしくは人自体を食糧としている。
 そういった彼らには、こういった観光地や都会は絶好の餌場となる。
 事前に調べておいた店の場所へとサーシャルは急ぐ。もう店が閉まるまで時間がない。
 店が見えてくる。
『やめてください……』
 その前に、立ち塞がっている金髪の女性。恐らくは観光客なのだろう。そして、その周りに群がる男性の姿をとっている異形者達。
 餌狩りの最中か。サーシャルは何ともなしにそう判断すると、押しのけて店へと入ろうとする。
 だが、入れない。
「いいだろ、金髪の姉ちゃん。こっちに面白い店があんだよ。きっと気に入るって!」
「あの、ドイテくだサイ」
 拙い日本語でサーシャルが道を開けてもらおうとする。が、男たちの耳には入っていないらしい。
 サーシャルは肩を竦めると、右手を上着のポケットに入れる。
 次の瞬間、男性達の動きがピタリ止まった。
「店に入りタイのでドイテいただけますカー?」
 サーシャルが笑顔で男性達に問いかける。
「あっ……ああ、悪かったな……」
 男性達が素直に謝罪を述べる。力の差が歴然としているの悟ったのだろう。彼らを拘束していた霧をサーシャルが解除すると同時に、一目散に路地裏の闇へと逃げて行った。
『あ、ありがとうございます……』
『いえいえ、お構いなく』
 囲まれていた女性に簡単な返事だけ返すと、サーシャルは早々に店へと入る。
「スイマセン、【もちもちピーナッツせんべいバナナ風味】はマダありますかー?」
「ああ! 申し訳ありません! 今日で販売が終了なんですけど、丁度さっきのお客様が買っていったのが最後で……」
 サーシャルの顔が一瞬にして凍りつく。
「……マジですカ?」
「……申し訳ございません」
『あのー』
 店員のサーシャルの間で気まずい応酬が起こる中、一つの声が割って入った。
「?」
 サーシャルが振り向いた先には、金髪の女性。先ほど、人外達から助けた女性だ。
 彼女は、そっと持っていた紙袋を差し出す。
『これ、よろしければ』
「あ、最後の一つ買って行ったお客さん」
「!」
 サーシャルは紙袋を受け取ると中身を確認する。
「【もちもちピーナッツせんべいバナナ風味】!」
 女性の両手を勢いよく握りしめる。
「アリがトデース!」
『先に助けてもらったのは、私です。ありがとうござい
ました』
 流暢な英語で、女性はサーシャルに礼を述べる。
 2人はそこで別れると、それぞれの宿へと戻っていった。
 
 次の日、日が暮れて間もない頃にサーシャルは宿を出た。
 篠宮には3日と告げたが【もちもちピーナッツせんべいバナナ風味】は生ものらしいし、2日に留めておこうか。お土産もできれば買っていこう。
 そんなことを思いながら、ため息をつき、春日大社に向かう。
 なにも、奈良自体は初めてではない。数回すでに来ているが、毎回来るたびに新しい発見があり彼を楽しませている。
 その中でも春日大社は彼のお気に入りだ。
 真っ赤な建物の中にある灯篭達。荘厳な風景に圧倒され、公開されていれば毎回見てしまう。
 その灯篭の群れの中に灯りではない金色が一つ、混じっていた。
 サーシャルはそれに静かに近づいていく。
『523、524、525……』
『3000基ですよ』
『えっ、わっ!』
 後ろを振り返った女性は、サーシャルの顔を見るなり慌てふためく。
『釣り灯篭が2000基、石灯篭が1000基です。もともとは雨ごいなどの為に献火が行われていたようですね』
『そうなんですか……』
 女性は思わず口に手を当て、感嘆の声を上げる。
『今日一日でしたら、ガイドしましょうか? 昨日料金も払わずに貰ってしまいましたし。日本語ができないと、この国では不自由でしょう』
『……じゃあ、お願いします』
 
 2人は主な観光地を回っていく。その途中、有名な銀製品を扱う店の前を通りかかった。
『ああ、銀製品を取り扱っているあのお店、有名ですね』
 サーシャルが視線をやる。
 大きなガラスがはめ込まれたショウウィンドウに、様々な銀製品が並べられていた。
『銀製品って手入れが大変ですよね。綺麗だとは思うんですけど、手入れをするクリームの匂いが苦手で、どうも持ちずらくって……』
 女性が苦笑し、次の目的地へと歩み始める。女性の髪がショウウィンドウからの光を反射して、細やかに輝いて
いた。
 不意に、サーシャルは思い出す。
 朝日の色を。
 彼の行動限界。その時間帯。
 荒れ果てた地、焼け残った家の破片で自分の嫌いな十字架を作って、草の一本も生えぬ地面に突き立てた。何本も何本も。
 焼け残った骨があれば丁寧に埋めて、その上にも十字架をつき立てた。
 その手を止めて、涙で濡れた顔を上げた。
 朝日が地平線を彩り、朝を告げようとしていた。
 その風景は彼には珍しい。こんなギリギリまで日の当たる所にいることはないのだ。それは、彼に毒だから。
 それでも、綺麗と思った。
 のに、
 隣には、誰もいない。
 この美しさを分かち合えない。
 一人は、寂しい。
 それを、知っているし、忘れてはならない。
 ずっと、ずっと、昔の記憶。
『行きましょう?』
 女性の声によって、回想は終わる。
『行きましょうか』
 人通りが寂しくなって来たころにようやく、2人の観光は終わった。
 
『いっぱい回りましたね』
 満足げな顔に笑顔を浮かべながら、女性がサーシャルの2歩前を行く。もはや真夜中といった時間帯だ。
『あ、猫!』
 不意に、女性が走り出し、路地裏へと走りこむ。
『路地裏は危ないですよ』
 追って、サーシャルが路地裏に入り込んだ。
 瞬間、ナイフが突き出された。
 サーシャルの腹部に風穴が出現し、ナイフを持った女性の腕が、勢いをそのままに貫通する。
『きゃっ!』
 体制を崩した女性の腕を、サーシャルが掴んで腹部から引き抜く。同時に黒い霧の様なものが風穴を埋めていく。
『やはりそうでしたか』
 掴んだ腕を上にあげると、女性の足が地に着かなくなった。女性のバックは落ちて、中に入っていた数本のナイフが顔をのぞかせる。
 サーシャルの顔から笑みは消え、冷やかな金色の瞳が女性を見下ろした。
『離して……っ!』
『いいですよ』
 あっさりとサーシャルは手を離し、女性が地上に戻る。
 だが、彼女の身体は動かない。
 黒い霧の様なものが、彼女を囲んでいる。
『教団ですか?』
『吸血鬼など話すことはありません!』
 サーシャルは彼女の前にしゃがみこみ、目線を合わ
せる。
『……教団ですか?』
 女性が、明らかに先ほどとは異なる反応をした。目を見開き、躊躇うかのように口を開閉する。そして、絞り出したような声を発し始めた。
『……私、教団。貴方が、教団の、ブラックリストに載ってた……偶然、邂逅、昨日、再確認』
 必要と思われる情報を、聞き終わるとサーシャルは立ち上がる。同時に、女性の身体から一気に力が抜ける。膝と体を折り曲げ、空気を求めて咳き込む。
『何故、私が、教団だと……』
 体勢をそのままに、女性がサーシャルを見上げる。
『吸血鬼は人間よりも、身体能力に優れてるんですよ。嗅覚もね』
 サーシャルは彼女の襟首を掴み、引きずり立たせた。
『グッ……』
 彼女の金髪は、路地裏の闇にまみれて暗く、淀んでいる。
『あなたのからは尋常じゃない量の銀の匂いがしていた。だが、それを隠した。疑うのは当然ですよ』
 それでも、無関係と信じたかった。
 そんなサーシャルの思いをよそに、女性は銀のナイフを振り上げる。
『そうそう、一つ教えてあげましょうか』
 彼はそう言って、彼女が振り下ろしたナイフを手の平で受け止めた。当然のごとく、サーシャルの手のひらをナイフが貫く。が、彼は気にした様子もなくナイフを握っている女性の手をそのまま掴んで拘束する。
『残念ながら銀は真祖に近いほど、意味をなしませんよ。ところで、質問なのですが』
 軽く、女性を壁に押し付けて続ける。女性の顔にはっきりと恐怖の色が浮かび上がった。
『ロリコンというものの守備範囲に、妹、という属性は入るのでしょうか?』
『……は?』
 予想外の質問に、間の抜けた声を女性は上げる。
『まあ、連れて行けばわかることですね』
 サーシャルが笑う。鋭い牙が、姿を覗かせた。
『成功するかも、わかりませんし』
 
 
 
「トラヌ狸の皮算用でース!」
「マスター……、いきなり帰ってきたと思ったら、いきなり何言ってるんですか」
 厨房で明日の下ごしらえをしていた篠宮がサーシャルに呆れた顔を向ける。
「ソウイエバ、妹、欲しいデスかー?」
「いや? とくにはいりませんよ?」
「そうデスカー、それは安心シマシター」
「どうかしましたか?」
「何デモないデスよー」
「そうだ、マスターがいない間に新作を作ったんですよ、味見してください」
 包丁を置き、篠宮は冷蔵庫に向かう。
「シノミヤ」
 その背中に、サーシャルは声をかけた。
「ん?」
「……ただいまデース」
「ああ、」
 篠宮が振り向き、笑う。
「お帰りなさい。マスター」
 
 
   揺らめき続けるは血の陽炎 銀の炎は燃え尽きる
  
 終局
 

inserted by FC2 system