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 体表の水分を根こそぎ奪い取るような風が吹き荒む中、俺は細長く薄い金属片を何気なしに弄びながら町行く人々を眺めていた。
 少しは人の顔を覚える練習になるかと思ったが……そう上手くいくモンじゃないな。
 さっき通った人物と分かっても、それが本当に『顔』で認識しているのか、それとも『服』や『髪型』で認識しているのか。
 判断に苦しむ。
 というよりか分からない。
 ターゲットの顔写真をもらって、いざ実際会ってみたら『髪型』が変わっていることなんてザラだしな。
 悪い時には性別まで変わっていることまである。
 正直、勘弁して欲しい。
 俺はため息一つつくと、噴水の縁から立ち上がる。
 日も十分に昇ったことだし、帰って昼飯にでもするか。
 いや、たまには向こうのレストラン街で売っている弁当にでもするか……?
 どうしようか、迷った次の瞬間
 空気がざわついた。
 人の動揺は、本人が意識する以前に相手から伝わっている。
 そして、それは瞬く間に人から人へと感染し、広がり、空気をざわめかせる。
 何が起こった?
 ざわめきがこちらへと向かってくる。早い。
 それに伴い、耳に入ってくる虚実混合の情報も増えていく。
「飲食店」
「男女2人組」
「女?」
「中華料理店」
「暴れた?」
「中華料理店」
「食い逃げ」
「警察」
「無銭飲食」
「男と女」
「まてー!」
「今話題の何とかって店」
「食い逃げ」
 ……まとめると、『中華料理店で男女2人組が食い逃げをした』ってとこか
 どうやらこの分だと、しばらくすればここに到達しそうだ。
 しかし、食い逃げって絶滅していなかったんだな……
 さして、面白くもなさそうな話題に無理につき合う必要もなく、俺はやけに鮮やかな赤毛と見慣れた顔が疾走するレストラン街の方向から目をそらして、家路につく。
 ………待て
 ちょっと、待て
 俺は信じたくない真実を確認するため、レストラン街へと向き直る。
 『食い逃げをした男女2人組』はもう、すぐそこにまで迫ってきていた。
 見慣れた顔…と言うよりは見たくない顔。10人に聞けば10人から近親者と言い切られる、例のアノ顔。
 それだけならまだ良い。
 いや、全然良くないが。
 見慣れた顔の右斜め後ろを走っている男。
 なんで、よりによって赤毛に金目なんだ……
 しかも……
 ……いや、まずはどうにかするのが先決だ
 幸いな事に、見慣れた顔の方は俺にまだ気がついていないようだ。
 俺はそこはかとなく、街灯の陰に隠れる。
 そして、2人が来たところで、やや上段ら辺に腕を突き出した。
「ぎゃっ!」
「のわっ」
 勢いをそのままに見事に自滅型ラリアットにかかる見慣れた顔。そして、その背中に追突する赤毛。
 二人は揃って地面に転がる。
 ……意外と衝撃来たな。
 俺は衝撃を振り払うように突き出した左腕を上下に振る。
 右足を後ろに引いてなかったら巻き込まれていたかもしれない。
「げほっ、げほっ……まさかの自滅型ラリアットとか……」
「くそっ、一体何が起こった……!」
 一方は喉を、一方は顔面を抑えている2人を俺は見下ろしながらため息をつく。
「そこの、女っぽい奴が自滅型ラリアットに掛かって、その背中にあんたが追突したんだよ」
「!」
「!」
 親切丁寧な俺の解説に、2人がほぼ同時に地面に向けていた顔を上げる。
「兄さん!」
「はっ?!」
 見慣れた顔−−−苺は案の定、抗議を始め、もう一人の赤毛も予想道理、その場で俺と苺の顔を見比べながら両の目を白黒させる。
「はぁ……はぁ……やっと追いついた……」
 息を切らした、ウェイトレスのような風体をした男が俺達の前で立ち止まる。
「お代! 3982円!」
「……」
 俺は黙って彼の前へと出ると一万円札を2枚、差し出された彼の手へ握らせる。
「余りは迷惑料だ。…とっといてくれ」
「……毎度」
 店員は2枚の紙幣をまじまじと観察した後、やや怒気と不安を含んだ声を出しながら人ごみへと消えていく。
 こっちの件はこれで良い。
 ……まあ、しばらくはこの付近はこられないだろうが。
 俺は抗議の内容が俺から料理の味付けへと移行している妹と、いまだに状況を掴めていない赤毛の男の後襟を掴む。
「服っ!」
「うわっ!」
 そしてそのまま、強制的に路地裏へと連行する。
「きゃー服が伸びるよー」
「うわー!」
 連行している間、周りを取り囲んでいる通行人たちは信じられないものを見るかのように俺たちを凝視している。
 ………が、凝視しているだけで手出しは一人もしてこない。
 さすが日本だ。空気を読んでいる。
 裏路地の少し奥へと入った所で、俺はすでに諦め切り、本人独自開発の『引きずられる体勢』を取っている妹と、首か閉まらないように必死にガードしながら喚き立てている赤毛の男の後襟から手を離す。
「ごろん」
 妹―――苺は自分で効果音を付けながら後ろ回りに一回転し、通常体勢へと立ち上がる。
「ゲホッ、ゲホッ」
 ガードしきれていなかったのか、赤毛の男が咳き込みながら立ち上がる。
「おい! おまっ!?」
 そして、俺の方を向くと、長ったらしい口上を述べ始める―――前に俺が指で弾いた鳩尾を抑えてうずくまる。
「痛いよねー鳩尾」
 既に正座で赤毛の男の隣に座っている苺が、彼の肩を笑いながら軽くたたく。
「……とりあえず」
 俺は壁に肩を預ける。
「状況を確認しようか」
「はーい。財布はおろかケータイも忘れて、相席になったこのニーちゃんも、財布とケータイとプラスアルファ記憶をなくしていて、両者共にケーサツのお世話になるのが嫌だったんで一緒に食い逃げしました。ごめんなさい!」
「実際的に反省しているかどうかはまた別の問題としてだ、状況はそこそこ理解した。……で、」
 口の横に手を当てて、命が惜しければとりあえず静かにしておいた方がいいよと赤毛の男にアドバイスしている苺から俺は少し、目をそらす。
 ため息をつく。
「他に言うことは?」
 代わりに苺が視線をこちらに向けてくる。
「……?」
 口の横に手を当てるのをやめ、ロボットのようにカクンと首を傾げる。
「……あれ? まさか、今日うっかり間違えて兄さんのトランクスはいてきちゃったのバレた?」
「なっ……?!」
「他人の物を無断で借りるのは悪いことだと再三言っているだろう」
「えっ……」
「だって似ている柄の奴だったしー、寝ぼけてたしー」
「ちょ……!」
「まあ、それもあるが、今問題にしているのはそういう―――」
「そういう問題じゃないだろうが!」
「?」
「?」
 いつの間にか復活していた赤毛が、いきなり大声を上げて立ち上がり、俺たちの視線を集める。
「いくら兄妹だからって、下着の貸し借りはないだろーが!? なんてギャルゲーだよ!倫理観崩壊しすぎだろ!」
「こいつが攻略対象のギャルゲーが作成されたら、恐らくCERO・Z指定された挙句に、発売日当日にクソゲー呼ばわりされ、即日販売停止になるだろうな」
「というかリンリカンって何? 缶詰の名前? 何入ってるの? 美味しいの?」
「食いもんじゃねーよ! ってか、突っ込みどころが多すぎて突っ込みきれねーよ!」
 両手で頭を抱えて絶叫する赤毛。
 何が不満なんだ
「……ああ、あれか、多感なお年頃ってやつか」
「ソレだ!」
「ちげーよ!!」
 話が進まないな。
 俺は肩を竦めると厚みのあるナイフを取り出し、未だに絶叫し続けている赤毛の首に叩き込む。
「!」
 そして、反対側にナイフの刃が貫通すると同時に空いている方の手で赤毛の体を固定しながら血のついたナイフを抜き取る。
 赤毛は傷口から血を撒き散らしながら苺が座っている方向に倒れこむ。苺はそれを受け止めることなく飛びのいて避けた。
「……?」
 苺が疑問符を上げながら、右足を引き、腰に手を当てる。
 銃が取り出しやすい体勢。
 俺は黙ってナイフの血をふき取り、鞘に収めると傷口から血を滴らせたまま目を見開いている赤毛を見下ろす。傍から見ればどう見ても死んでいる。
 狭い路地は静まりかえり、人々の喧騒は遠く離れている。
 当然だ、これのためにわざと人通りから見つけにくく、音を遮断しやすい場所を選んだ。
 不意に、赤毛の指が微かに震えた。
 死後の痙攣では無い。時間がずれ過ぎているし、震え方が違う。
 傷口が塞がっていき、細い管に風を通したような音がし始める。
 そして、澱んでいた瞳がゆっくりと光を取り戻し始めた。
「っつ……一体何が……」
「超・リアル起き上がり小法師?!」
「違う」
「ふぎゃ!」
「しかも、そこはかとなく嬉しそうに言うな」
 肝心なことに全く気が付かない苺の頭頂部に取り敢えず手刀で突っ込みをいれておく。
「気づかないのか」
 俺は、赤毛を指さす。
 苺は赤毛の顔の前に移動すると、せき込む赤毛の前に座り込み、まじまじと観察する。
「気をつけろ。そいつの血液は毒だぞ」
「……? なんでそんなことがわかる――――」
 次の瞬間、苺は赤毛から飛びのいて距離を取ると同時に銃を取り出して喉元に銃弾を撃ち込む。
 再び、赤毛は地面に転がり意識を失い再生モードへと移行する。
「これ、昨日のゆで卵作らせた料理人ジャン!」
 そっちからいったか。
 まあ、その方が俺にとっては会話の工程が一段階減るから都合がいいが。
「髪と目」
「ぎゃー!」
 俺の言葉でやっと気が付いたらしく、銃を持ったまま頭を抱えて絶叫する。
「え、ちょ、これ、グール?」
「身体的特徴はあっているな」
「けど、あれだよね?ゆで卵作らせた料理人だよね?!」
 パニックに陥っているな
「纏めてみろ」
「ゆで卵作らせた料理人が、グールになって生き返った!」
「正解、追加して記憶喪失中だな」
 再生が終了しそうになった、赤毛に苺が再び銃弾を撃ち込む。
 時間稼ぎだ
「見られて無いと言ってた様な気がするか」
「顔なんて見られてない。身体の方はともかくとして」
 頭を抱えたまま苺はその場でグルグル回り始める。その様子は『自分のしっぽを追いかけ続ける犬』にそこはかとなく似ていた。
「殺したのか?」
「殺してない!」
 苺が即座に否定する。
「脅して、作らせた後、勝手に逃げて階段から落ちて、勝手に死んで、勝手に生き返ったのよー」
 こいつを悩ませ、動かしているのは、人を殺したという罪悪感。
 ではない
 ただ、単に余計な殺しを家庭で禁止されて、それに従っているに過ぎない。
 こいつに、善悪はわからない。
「事故だよ!事故!」
 苺か叫ぶ。
「お前がいなかったら確実に起こらなかった事故だな」
「そうだ!殺しちゃおう!」
 頭の上に光る電球を出現させたかのような勢いで、苺は提案する。
「階段から落ちて死んだということは、血痕が残っているだろうな。その血液は警察にいっているだろう。ということは裏である程度繋がっている死会にもそのデータはいっている。髪の毛には生前のDNAが残っているだろうから、自我を保っていたイレギュラーのグールとして解剖される際に照合される可能性があるな」
 俺は苺を見る。
「こいつを殺した付近の防犯カメラ、全部つぶしきれてないんじゃないか?」
 潰していないはずだ
「うー!」
 付近の防犯カメラに一台でも映っていたなら、疑われて死会から連絡が来るだろう。
 他人様ならともかくとして、こいつが母さんに嘘をつききれるかどうか。
 無理だろう。
「まあ、怒られなくて済む手が無い訳では無いぞ?」
 さて、何を要求してやろうか。
「……わかった」
 ん?
「まだ何も要求して無いが?」
「今日の夕食が、まともに料理をしよう週間だったにも拘らずレトルトカレーに野菜突っ込んだ手抜き料理だったことを母さんに伏せといてあげる」
「……頼む」
 風呂掃除を押し付けそこなったか。
 まあ、何はともあれ
 大体計画通りか



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