第3章 [view03]
 

 どこもかしこも美味しそうな匂いで溢れていた。
 そして、俺は尋常になく腹が減っていた。
 そのせいか、レストラン街を行きかう人達さえ美味しそうに見えてくる。というか見える。
 腹がギュウと、少々情けない声を上げた。意識が戻ってからもう5回目だ。
 ……そう、意識が戻ってから。
 俺はかぶりを振って、頭の中を少しでもスッキリさせようとするが、消えそうな靄は消えてくれず、あともう少しで思い出せそうな記憶はさっぱり思い出せない。
 薄汚い路地裏で目が覚めて、ここに居ちゃいけないという衝動に従って移動したはいいが、何をどうすればいいか全く考えることさえもできない状況だ。
 俺は自動ドアをくぐると、その先にいた人をおぼつかない足取りで避け、手近に空いていた椅子に倒れるように座り込む。
 記憶どころか金もなく、食い物の1つも買えない。
 出された水を口に含むと、気を紛らわすため置いてあった食べ物の写真が多い冊子を何気なしに開き、指でゆっくりとなぞる。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
 そんな声が間近でした。
 え……?
 慌てて意識をまわりに払う。
 小さめのバインダーを持った店員。開かれたメニュー。少し中身が減ったコップ。椅子に座った俺。食い物を食べている周りの人々。
 どっから、どう見ても飲食店……!
 水を飲む時点か、せめてメニューを開くところで気がつけ!自分!
 嫌な汗が頬を伝う。
「お客様、大丈夫ですか?」
 女性店員が膝を折り、俺の顔を覗き込んでくる。
 噛み心地の良さそうな白い首筋が目に入り、美味しそうな匂いが
 ……!
 俺はとっさに自分の腕に爪を食いこませる。
 痛みで一瞬、意識が店員から離れた。
「……以上で」
 笑顔で店員が厨房へと去っていく
 ……こっちは必死だっつーのに
 リーズナブルな中華料理店の中、俺は店員に悟られないように気を付けながら額に手を当てる。
 あたりを見回すと、楽しそうに食事をしている人達が目に入る。彼らはこんなことを考えている奴がこんなところ実在するとは夢にも思っていないだろう。
 俺も思っていなかった。
 食い逃げするしか方法がないとかっ……!!
 警察は基本的に信用ならないし、携帯もないどころか、記憶さえもない。
 だが、こんなところで恥もさらしたくない。
 ついでに、人を食いたくなるほどの空腹感をそのままにしておく訳にもいかない。
「あの……、お客様……」
 ふと、前を向くと店員と赤いチェック柄のコートを着た、見知らぬ奴が立っていた。
 女……だろう
 ……女、だよな?
 どうもよく、年齢も性別もよくわからない。
 「すいませんが混んでまいりましたので、相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」
 ふと、あたりを見回すといつの間にか店内は満員になっていた
 空いた席は俺の目の前以外無く、どう見ても断れるような雰囲気ではない。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
 女は席に着くとその場で注文を済まし、コップの水を一口、口に含む。
「それ、俺のです」
「あ、ホントだ」
 ごめんなさい、と女は笑い、店員が持ってきた新しい水を俺のへと置く。
 ……?
 俺は何か違和感を感じ、気づかれぬように彼女の首筋に目を向ける。
 ……おかしい。
 空腹感が緩和されている……?
 人ごみや店員の前では『待て』をされていたような抑圧的な空腹感が、どうも彼女の前だと和らぐ感じがするような、しないような。
「どうかしたんですか?」
 彼女が再び俺に笑いかける。が、何故だろうか
 俺はそれを見て、不安以外の何物も浮かび上がらなかった。
 

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