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 何か、後ろの壁で堅い物と堅い物が派手にぶつかったような音がした。
「……」
 振り返り、しばらくしたところで額に手を当て、少々俯き気味の苺が壁から現れる。
「……違うよ」
 鋭い視線で苺がこちらを睨みつける。
「パス間違えてデコを盛大に壁にぶつけたとかじゃない!」
 ……
「……俺は何も言ってないが?」
 一瞬の沈黙
「……っ!!兄さんの――!」
「Hi!イチゴヘビ!お久しぶりデスね!」
 顔を紅潮させ、語気を荒らげた苺が叫ぶ。一歩手前で、俺の後ろにいた人物が前へ出た。
 苺の表情が一転、輝かしい笑顔へと変わる。
「サーシャル!」
「少し見ナイ間に、随分とオオキクなりましたネー」
 金髪碧眼で茶色い薄手のコートを羽織った男―――サーシャルが間違った通り名で苺を呼びながら、所謂”高い高い”の要領で持ち上げる。
 無論、”高い高い”の対象年齢、対象体格からはとうの昔に外れているが、今突っ込みをいれるとさっきの分上乗せで絡んで来るのは目に見えている。
 スルー力って大切だな。と、痛感する今日この頃。
「あたしはイチゴヘビじゃなくてヘビイチゴだけど、元気デスよー」
 その場でサーシャルが2、3度グルグルと回ると苺が子供のように喜ぶ。
 あいつは自分のサイズを自覚して無いのだろうか?
 まあ、していた方がタチが悪いか。
 ……いや、どっちもどっちか
「で、今回は何で来たの?」
 降ろされた苺がサーシャルの細い巻き毛に猫がじゃれるように触りながら尋ねる。
「ジブンは説明がにがてナノデー、お願いしてもイイデスカ?」
 そう言うと、彼は視線を後ろに投げかけた。
『了解しました』
 結構な大きさの白い部屋の中、その真ん中にいるテディベアから変音機を通された声が発される。
 総会の時は死会の登録者達がこのテディベアの回りに波紋を描くよう自分の椅子を置いていくのだが、今は椅子は部屋の隅に山になったままで、いるのも俺と、苺と、サーシャルだけだ。
 このテディベアを使用できるのは俺が知っているだけで確か2名。
 しかし、変音機を使っているとなると……
「『死神』ではなく『本部』か」
 死会日本支部総長である『死神』がこのテディベアを通して話しをする時は、老人のような、柔らかい声が部屋に響く。
『つい先刻、彼が起こした問題をあなた達に解決してもらいたい』
「問題の解決?」
 苺が疑問符を上げる。
 俺達、死会の登録者の基本労働基準は『殺し』のはずだ。
 正直言って、『問題の解決』という、複雑なことは対象外だ。
『内容はグール【餓鬼】の処理』
「コイでは無かったのデシター」
 苺が小首を傾げる
「コイ…?ああ、『故意』ね。てっきり魚の『鯉』かと思ったよ」
 鯉のグール。
 どんなんだ
 正直言うと、同じことを思ったが黙っておこう。
「しかし、何故俺達に?」
 俺はテディベアの前2歩程度の距離を取ったところに、部屋の隅にある椅子の山を無視して座り込む。
『今現在の戦力から算出するに、君達に動いてもらうのが一番リスクが少ないとの結果が出た』
 最もらしい御託を並べてはいるが、分かりやすく訳せば『どうせお前ら暇だろ。たまにはパシリでもしろや』とでもいったところだろう。
 俺達2人は外国語が出来ない上に『学生』という身分を有しているため、どうしても範囲などに制限が出来る。
 利益と損害どっちが上回るかと聞かれれば……まあ、見方によるだろう。
 ちなみに今現在の俺の見解では利益が上だ。
 遠出しなくて済むしな
「大体にしてグールって何? 放って置いちゃだめなの? 普通に殺して良いの?」
「落ち着け」
 俺はサーシャルと共に俺の横に座り、疑問投げかけマシンと化した苺をなだめる。
『グールとは吸血鬼の亜種。基本的に人間を食すことを好み、治癒能力や身体能力は人間より上、自我や正常判断能力は無い。脊椎を破壊すれば機能を停止する。身体的特徴として金眼、赤髪』
 暖房がついてない部屋で、テディベアは続ける。
『今回の依頼は通常業務ではない。必要ならば手当てを出す』
 通常業務でも無いので多少のボーナス在り。分かりやすい身体的特徴もある。標的はこちらのことを知らないので恐らく警戒されることも無い。
 条件としては中々のものだ
 ただ一点、発見に時間がかかる可能性があるということを除けばだが。
 苺が身を乗り出す。
「引き受け――うわぁ?!」
「無い」
 俺は事前に脱いでいたコートを広げて投げ付け、苺の結論を横取りする。
「何で、何すんのよー」
「通常ならば」
 一瞬にして蝶々結びにされ、乱暴に投げ返されたコートを受け止めながら俺は続ける。
「二つ返事で引き受ける。が、今回は既に予定が入っている」
 俺はコートの結び目を解きながら苺に視線をやる。
「……予定?」
 右に、左に、苺は首を傾け、ついには体ごと捻り始める。が、
「何かあったっけ?」
 思い出せなかったらしい。
「期末試験」
 一瞬にして苺の表情が凍りつく。
 その後、鯉のように二、三度口の開閉を繰り返すと、苦虫を噛み潰したような顔になり、更にその後、口惜しそうな表情を全面に出すと、
「期末試験のバカァ!」
 と、叫びながらその場を離脱し、
 壁に激突した。
 ……すごい音がした。
 パスは一回ごとに言わなければならない事を忘れたいたらしい。
「大丈夫でスカー…? ヘビ苺?」
 サーシャルが近づきながら、うずくまったまま動かない苺に恐る恐る、声をかける。
「目の前に、さえずるヒヨコと星が…」
「ナンと、ソレは、ファンタスティック!」
「というか、あれだな、幻覚」
 ピンクのリボンを首に巻いたテディベアが、俺が立ち上がると同時に声を掛けてくる。
『気が変わったら、いつもの番号に連絡を下さい』
「了解だ。帰るぞ、苺」
 俺は未だに額を抑え、うずくまったままの苺に声を掛ける。
 と、同時にそのすぐそばに屈み込んでいるサーシャルの金色ポニテを勢いよく後ろに引っ張った。
「アウチ!」
 サーシャルの顔がエビ反り式に天井を向く。
「全く……俺達のはやめとけって言ってるだろ?腹を壊したで済まなかったらどうするんだ」
 俺はその顔をのぞき込み、ため息を付く。
「2人共、美味しソウな匂いガするのデスよー……」
 薄い眉毛を下げて残念そうな顔をする。
「まだ諦めて無かったのー……? 人体発火女の血を吸って腹壊したのに、懲りないねー」
 苺が少し赤み掛かったデコをさすりながら復活。
 そして、早々に毒を吐く。
 俺が尻尾から手を放すと、サーシャルは首をさすりながら顔の向きを正しい位置へと戻す。
「……? 怪我をしたのか?」
 首をさする手に包帯が巻かれている。
「ソウナノデース、今はモウ治ってイマスガ恐らくコノ傷口からシタタリ落ちた血が死体のクチか傷口に入ってシマッタト思われるのデース」
 なるほど、グールは吸血鬼の血液感染によって出来るって事か
 しかし治安が悪くなったとはいえ、ここは日本でそう、そこいらに死体が転がってる訳では無いんだかな……
 まあ、気にしても仕方が無いな。
 今は試験だ、試験
「……兄さん、帰ろ」
 苺がコートの袖口を引っ張ってくる。声色からして完全にグレきっているのだろう。
「ん? ああ。じゃあな、サーシャル」
「もう帰りますカー?」
 どこか名残惜しそうな、声を出す。
「試験があるからな」
「ならば、仕方がアリマセンネ、サヨウならデース」
 俺は大げさに手を振るサーシャルに背を向け、壁の方を向いた。
 そして、踏み出しながら呟く、
「239960」


 さえずるヒヨコと星が見えた。


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