第3章 「廃屋は内包することを考える(そして、その無意味さを知る)」


 結局、なぜ一緒の席で食べていなかったのかは指摘されないまま僕らは寒空の下へ引き出され、それと同時にスモークがかかった車に突っ込まれた。
 僕がほぼ半壊の店を見て、青年が食べ切れなかったナポリタンを見ていることなど全く気にせずに車は発進する。
 ほとんど害が無いと判断されたのか、後部座席には手首を縛られた僕達だけが乗せられた。
 青年は自分だけは全く別の状況におかれているかのように、後ろに流れていく町の風景を眺めている。座席に深く座り、背もたれに体重を預けきっている。
 どうして、あんなに落ちついてられるのだろう?
 青年のジーパンのポケットから、ちらりと銀色の物が見えた。
 ……持って来てる。
 その場で泣き出したいような気分でしばらく車に揺られた後、僕らは車を降ろされ、目隠しをされ、肩を掴まれながら歩かされる。
 少し経った後、肩を放された。
 乱暴に扉を閉める音を最後に、暫しの静寂が訪れる。
「目隠しを外しても良いようだな」
 青年の声を聞き、僕は目隠しを外す。
 パイプ椅子が5,6個無造作に投げ出されているだけの部屋に、僕たちは放置されていた。部屋の中には見張りさえもいない。
 あたりを見回すと、人が使っていた気配はなく部屋全体が埃を被っている。光源は板が打ち付けられた窓から漏れている、夕暮れの赤い光しかなく、薄暗くてしょうがない。
 しかも、冬に差し掛かったこの時期に暖房の一つも置いて無いものだから、じっとしていると氷漬けになりそうだ。
 僕は自らの両腕を体に引き寄せ、暖を得ようとする。
「盗聴器、盗撮カメラなどの類は設置されていないようだな」
 彼は辺りをぐるりと見渡した後、パイプ椅子の1つに腰掛けると溜息をつきながら腕時計に目をやった。その吐息は僕と同じで白く染まっているが、彼自身はそれを気にする様子はない。
 そして、いきなり腕を拘束していた縄を解いた。突然のことに僕は声をあげる暇もない。
 ということは、今までワザと……? いや、そもそも捕まった経緯を考えると……
 ……考えるのをやめよう。
 僕が無理矢理思考を停止した横で、彼は何処からかメモ用紙とペンを取り出し、何かを書き付け始めた。
 ほんの少し書いたところで、何かを考えるかのように手を止める。
 そして、また書き始めて手を止める。
 同じ動作を数回繰り返した後に、書くことが無くなったのか青年はメモ用紙とペンを上着のポケットへとしまった。
 えーと
「あの、すまないが」
 僕は意を決して話しかける。
「君は一体―――」
「別にそんなことどうでもいいんじゃないか?」
 彼は指先でフォークをバトンのようにクルクル回す。
 僕は黙るほかになかった。
 一言でも突っ込んだら、物理的に突っ込み返されそうだ。
「なあ、」
 不意に青年がフォークを回す手を止めて、こちらへと視線を投げかける。
「あんたは何をやらかしたんだ?」
 別にそんなことどうでもいいんじゃないか?
 と、返すことなんてできません。はい。
 ただでさえ小さい僕の気は、いまやミジンコサイズなんてものじゃない、せいぜい大腸菌レベルだ。
「僕はここの組に雇われていたことがあるんですよ。ほんの数年のことですが」
「ほお」
 青年は興味があるのかないのか判断しかねる相槌をうつ
「その間に作っていたのが、人体を機械と薬物で強化した、まあ、いうところのサイボーグっていう奴です」
 実際的にサイボーグと言えるかどうかはわからない。
 薬物による人格矯正。脳への電子信号による思考の形骸化。人間をベースにしたアンドロイド。あまり、言いたくないがそう言った方が適切かもしれない。
「僕たちは『騎士』と呼んでいました」
「その『騎士』とやらは何を守っていたんだ?」
 守っていたもの。
「守るもの――――護衛対象はやくざの息子です。そう設定しました。だが、いまは違います」
 そう、今は違う。
「今はある部屋の一室。その周辺付近一帯を護衛対象とみなしています。もちろんその一帯には入ることもできませんし、出ることもできません」
 そう、そして
「その一帯にやくざの息子が取り残されたって訳か」
「そういうことです」
 僕は肩をすくめて肯定する。なんだか笑えてきた。
「実を言うと、すでに一回見た後なんですよ。捕まるのは二回目です」
「逃げられたのか」
 感心したのか、青年が聞き返してくる。
「自分でもうまくいったのが吃驚です。もっとも、この様じゃ何も言えませんが」
「そうだな」
 青年が呆れたように、古びたパイプ椅子に預ける体重を増やす。パイプ椅子が小さく悲鳴を上げた。
「ここがどこか分かるか?」
 不意に青年は話題を変えてくる。
 凄腕のマイペースだ。
 僕は当たりを見回しながら記憶を探る。
 剥き出しのコンクリート、無駄に大きい部屋、板が打ち付けられて外が見えないようにした窓。
「いや……多分、僕の知らない所です」
 多分……
 さすがに不確定要素が多すぎて、断言はできない。
 大体にして何故、壁を壊して部屋を大きくする必要があったのだろうか? よくよく見れば、最近壊したようにも見える。
 青年は僕の答えに返事をせずにそのまま沈黙する。僕の方から話題を振る勇気などない。故に、沈黙が続く。
 身も心も寒すぎて、もはや逃げようという気さえ起こらない。自分で組み立てたパイプ椅子に座り、力なく視線を床へと落とす。
 そして窓から僅かに差し込む光が薄暗さを帯びた頃、青年が動いた。
 解いて床に落とした縄を拾い上げ、手首にまき直し始めた。正確にいえば、巻かれているように見えるよう持ちなおしたのだ。
 彼が持ち直す手を止めるのと複数人の男たちが扉を開けたのはほぼ同時だった。
「出ろ」
 男たちの簡潔な要求に従って僕らは部屋の外へと移動する。
 最低限の蛍光灯が照らす廊下をいかつい男たちに挟まれてた状態で進んでいく。
「来い」
 僕らはコンクリートが剥き出しになった廊下を通って階段へと連れて行かれる。
 とても粗雑な作りの階段だ。屋内にはあるが階段自体は非常階段のような作りになっている。
 しかも、廊下から階段への入り口が防火扉にカモフラージュされていたところが激しく気になるところだ。
 無機質な音を響かせながら僕らは所々に蜘蛛の巣が張った階段を下へ下へと降りて行く。
 途中にドアがなかったので確かなことは分からないが、4階分ぐらいを降りたところで到底壊れそうにない扉が姿を現した。
 ゆっくりと扉が開かれる。
 まるで裁かれ行くような気分だった。有罪判決以外の判決を受け付けることがないであろう裁判所の門を、誰も彼もが陰気な顔をしてくぐり抜ける。
 そして、その奥には紛れも無い僕が手掛けた『作品』があった。
 隆々とした筋肉を隠しつつ、それでいて動きを制限させない構造を特殊な布で仕立て上げた背広がほんの少しだが劣化してきている。定期的なメンテナンスを行ってないからだ。やろうとすれば、ほぼ確実に殺されるだろう。
 『彼』の後ろにはさっきくぐり抜けた扉より数倍は頑丈そうな扉がある。ぐるりと一周、扉のヘリに沿って金属の熔けた跡が波打っていた。まぎれもない、はんだ付けの跡だ。そして、『彼』の10メートルほど前にはペンキで書かれた太いくっきりとした赤い線が、必要最低限の内装工事しかされていない部屋を区切っている。
 境敵線。
 『騎士』に殺されるか、殺されないかの限界線だ。
「あいつか」
 青年の問いに、
「そうです」
 僕はしっかりとした口調で答えた。

「あれが『騎士』です」



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