第1章「フォークは己の運命を学ぶ(しかし、気づいた時にはもう遅い)」


 夕暮れの光が、飛び散る大小の硝子に反射していた。
 女性や子供の甲高い悲鳴。蟻に群がられた砂糖の様に、非常口が人で埋もれていく。
 夕食時にはまだ早く、家族などの客は少ないが、学校帰りの学生たちが大勢でたむろっている時間帯だ。
 出た分を供給するように、入り口から複数の男たちが窓ガラスやテーブルを破壊しながら店内に進入する。全員、手には警棒、もしくは拳銃。
 当の僕といえば――――情けなくも座席からずり落ちた状態から、何とか体勢を立て直そうとしてた。しかし、思惑と肉体とは必ずとも合致するとは限らない。僕の両足は生まれたての小鹿の様な有様だ。
「探しましたよ、先生」
 一人の男がテーブルの影になっていた僕の姿を見つけ、歩を進めてくる。
「あっ……」
 全身を更なる恐怖と共に悪寒が包み込み、頭の中でけたたましい程の警報が鳴り響く。
 立てないなら移動手段は限られている。僕は両腕に精一杯の力を込めて後退し始めた。
「困りますよ、先生」
 前髪が後退し始めているガタイの良い男は着々と僕との距離を縮めていく。僕は距離を広げようと後退するが、元来、腕は身体を移動させるものではない。縮まる速度が少し遅くなった程度だ。
「アレを作ったのは先生なんですから」
「いや、アレは……」
 僕の背中に何か、柔らかい物に包まれた硬いものがあたり、もう逃げられないことを示唆する。
「ちゃんと責任を持って、何とかして下さいよ」
 ダメもとで後ろに下がろうとするが、下がれない。わずかに柔らかい感触は、ボックス席の座席部分だからか。
「そっ、その、事故で、」
 男は僕の目の前に立ちはだかり、黒い影を落とす。
「最後まで、責任をとってくださいよ」
「やめてくれ…!お願いだ!」
 僕は両腕で顔を覆い、視界を自ら塞ぐ。もう、何も見たくない。どうか、このまま、朝になって――――――
 コトリッと、音がした。
 悲鳴や破壊音が店内に響き渡る中、余りの異質な音につい振り返る。何故、聞こえたのかはすぐに分かった。真後ろにいたからだ。
 僕がぶつかった、4人がけのボックス席。そこに銀色のスプーンを持った青年が、ボルシチを飲んでいた。
 青年かどうかは分からない、ただ恐らく胸が平らなところからして性別は男性なのだろう。が、性別も年齢も何故かイマイチ判別が効かない。
いや、その前に色々と突っ込むべきところが大量にあるような気もするのだが…
「いっ!!」
 右足に激痛が走り、思わず悲鳴を上げる。
「よそ見するなんて、随分と余裕があるんだな」
節くれ立った男の指が僕の襟首を捕らえ、僕を吊り上げた魚の様に引き上げる。口調が変わったのは敬語が意味を成さないと感じたのか、こちらの口調のほうが効果的だと判断したのか。後者ならば正解だ。
「ちゃんと直してもらうぞ、先―」
「うるさい」
 水面に広がる波紋のような声が、した。後ろからだ。無意識のうちに振り返る。
 ボックス席に座っている青年がこちらに顔を向けていた。
「飯の最中だ」
「うるせえのはてめぇだ」
 銃声。青年の持っていたスプーンの先が消える。
「さっさと失せろ」
 青年は先の無くなったスプーンを静かにテーブルに置くと、代わりに食器カゴからフォークを手に取り、
 悲鳴
 その悲鳴が僕を掴み上げていた男のものだと気づいたと同時に僕は強制的に床の上に戻されていた。尻がそこはかとなく痛い。
 そして男性を見上げた時、驚きや恐怖の前にまず疑問符が上がった。
 額にフォーク?
 垂直に?
 成り行きからして他にはいない犯人が、うずくまる被害者を見ながら立ち上がる。
「しまった」
 うん、まずいよね、かなりまずいよね。
 現に、店の入り口に待機していた男の仲間達がこちらに集まりつつある。
「これじゃ、スパゲッティが食えない」
 違う
 物凄く間違っている。
「替えを持って来るか」
 犯人は僕には目もくれず食器置き場へと向かう。
 直後、誰かに腕を掴まれた。
「!」
「てめぇ、死角から不意打ちたぁやってくれるじゃねえか……」
 さきほどまで僕を掴み上げていた男が右手で跡が残るのではないと思えるほどの力で僕の腕を掴み、左手に持ったフォークを僕の首に突きつけ、物凄い形相で間近に迫る。
 何かさっきからあの青年に目を向ける度に痛い目にあったいるような気がする。
「いっ、いや……あれは僕ではっ……」
「ああ?! お前以外に誰がいるんだ! それともあれか? あのガキが目に見えねえ速度でフォークを俺の額に投げた、ってことか?!」
 引き算すると、それしかないんです!
 と、言いたかったが恐怖のあまり声が出ない。
「ふん…、まあ、この借りは後でたっぷりと返させて貰おう。今は蛇苺さんがお待ち兼ねだ。連れて行け」
「蛇苺?」
 食器置き場の方から声がした。もちろん、フォークを投げた犯人の声だろう。
「まだ、いやがったのか」
 腰が抜けている僕はその間に他の男達によって成す術も無く、順調に店の外に運ばれて行く。
「すいません、俺は先生のサポートをさせて貰っている者です」
 ……は?
「先生は今とても精神不安定な状態です。症状によって正しい薬を処方しなければ、あなた方にとっても使い物にならないと思います」
 ??
「先生を殺したりはしませんよね?でしたら、俺も一緒に連れて行ってください」
 いや、誰だよ、君
 僕がさすがに異議を申し出ようとすると、青年はそれに気が付いたらしい。
 こちらにほんの少しだけ目線を移すと引きずられて行く僕に見える位置で、手に持った銀色のフォークをクルリと一回転させた。


 フォーク恐怖症になりそうな気がした。



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